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レールから外れると大変です再び正社員になるまでの壮絶な道のり

「希望通りに就職したはずなのに、人生のどん底を見た」

 石田広樹さん(仮名、29歳)は職を失い、一時はニート状態に陥った。

 冬には雪深くなる地方で生まれ育った広樹さんは、高校卒業後は東京の中堅大学に進学した。親からの仕送りは家賃の5万円だけ。奨学金を月5万円借り、残りの生活費は居酒屋でアルバイトをして賄った。

「4年も東京に出してもらえたら満足。親孝行するため地元に戻って就職しよう」と、Uターン就職を考えた。

 

 業界研究をしている時期、周囲は金融業界への就職を目指したがった。けれど、高校を卒業してすぐに銀行で働いた女性の友人は、結婚すると契約社員に変更された。働きやすさを売りにしている会社だったが、ノルマがきつく社員は使い捨てに見えた。“ブラック企業”は避けたいと、情報収集を欠かさなかった。

 氷河期を脱しつつある頃の就職活動。大卒就職率は2003年の55.1%という過去最低値から徐々に回復。2008年は69.9%まで上昇したがリーマンショックで再び落ち込み、2010年に反転。広樹さんが卒業した12年は再び大卒就職率が上向く最中で63.9%となり、売り手市場に変わりつつあった(文部科学省「学校基本調査 卒業者に占める就職者の割合」)。

 40社程度の説明会に出て20社の選考会を受けると、15社の1~2次試験に残った。そこから5社の最終選考を受けることになり、第二希望だった物流会社から内定が出て広樹さんの就活は終わった。

 内定者説明会では、30代の社員が「うちは地味だけれど、社会から必要とされている仕事。目立たないが、一緒に若い力を働いてみたい」と意気込んでいた。広樹さんは、その言葉に心打たれ、「大企業は社員なんて使い捨て。従業員100人程度の会社だけれど、中小企業なら1人で2役を求められてスキルが高くなるのではないか」と考えた。

 会社の事業内容を詳細に調べて、仕事で必要であろう「危険物取扱者」の試験を自ら受けて合格。

 年明け、「会議に参加してみないか」と会社から誘われ出席すると、前年度の事業報告や起こったミスなど細かなデータを説明され、信用が置ける会社と感じた。懇親会にも呼ばれ参加すると、社長は「3年かけて育てる」と言ってくれる。和気あいあいとした雰囲気に包まれた。「自分の就職活動は間違いなかっただろう」と広樹さんは確信を得たのだったが、その思いはすぐに裏切られた。

 入社すぐに倉庫を管理する部署に配属された。倉庫に入ってメーカーに卸す部品をフォークリフトで移動し、パソコンでデータを入力していく。朝6時に出勤して夜11時まで働き、月の残業はゆうに100時間を超えたが、残業代は20~30時間分しかついていなかった。大手就職支援会社の就職サイトに載っていた仕事内容も賃金も休日も全てが違っていた。

 過労がたたったのか1か月後、突然の膝の痛みを感じ、歩けなくなった。社長は「お前の責任で膝を痛めたのだから知らない」と手の平を返したように冷たい。上司は「しばらく負担を減らす」とかばってくれたものの、痛みが激しくなり松葉杖を使わなければ歩行できなくなった。すると、わけもわからぬまま会社を退職するよう促され、入社2か月、試用期間のうちに失業してしまった。

それからは、精神的なショックもあって広樹さんはニート状態になった。外に出るのは家と病院の往復だけの生活を送り、引きこもった。「人生ここまで落ちるんだな」とふさぎ込む毎日を送った。

 フェイスブックをみると友人が仕事について前向きな投稿をしている。結婚の報告をしている友人もいる。そうした幸せそうなSNSを見ると自分が人生の脱落者に思えてきた。レールから外れて、どうしよう……。気分が沈む。しかし、夏頃に膝が少しずつ動くようになるのとともに、また働く先を見つける気力がわいてきた。

「どうせやり直すなら、子どもの頃から夢だった電車の運転士を目指そう」と、広樹さんは、鉄道会社の採用試験を受けた。何社か応募すると、大手鉄道会社の契約社員として採用された。窓口で切符を販売しながら正社員登用の機会をうかがったが、試験に合格するのはごくわずかと知り、絶望感におそわれた。

「とにかく正社員になりたい」と転職活動を続け、私鉄から内定が出て転職した。

 夢の運転士になることができると心を弾ませたが、勤務が始まると人手不足が深刻だと分かった。本来は運転士が50人必要なところ、10人足りない状態だった。シフトが「4週8休」で組まれていても、実際には休みの日も出勤を命じられた。

 終電のシフトでは、昼頃に出勤して、深夜0時頃までの乗務となる。勤務が終わると朝まで仮眠してから帰り、終電明けは休みとなる。しかし人手不足のため、終電明けの日も、朝のラッシュの時間だけ運転する「連結勤務」と呼ばれる異例のシフトを強いられた。

 連結勤務では、終電の後で中休みを取って朝の運転に入るが、その中休みの待機時間の賃金は支払われない。終電シフトで深夜0時に乗務が終わっても、朝6時からまた勤務になると十分に眠れないまま乗務となる。眠気を抑えるためガムを噛みながら運転する不安な日々を送った。

 こうした過酷な連結勤務の後で夕方のラッシュ時まで運転を任されることもあった。翌日は日勤で朝6時頃からの勤務となる。朝5時から夜10時まで働くこともザラだった。

 毎日、やっとの思いで乗務が終わって帰ろうとすると急に「終電やって」「連結やって」と頼まれる。それでも基本給17万6000円と残業手当を合わせた手取りの月給は20万円。過労死寸前で働いても手にとる賃金があまりに見合わない。

「これではいつ事故を起こすかもわからない。いつか結婚した時、この状況では家庭が犠牲になる」と、再び転職活動を始めた。

 転職になんとか成功し、自治体が運営する鉄道会社で運転士となった広樹さんは、最初の1年は臨時職員として雇われた後で正規雇用に登用された。月給はトータルで27万円を超える。家賃や光熱費、社会保険料などを払っても、手元に20万円近く残る。社内の労働組合の活動が積極的なことで、休日出勤を命じられることもなく、休日にシフトが組まれれば、きちんと割り増し賃金が保障される。やっと安住の地に着いた思いだ。

 広樹さんの場合、ニート状態になっても持ち直してなんとか這い上がることができたが、そうできる人ばかりではない。若くてもブラック企業で働くうちに完全に心が折れてしまって再起できなくなる、あるいは、非正規雇用が続いてしまう例は決して少なくない。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190121-00000099-sasahi-soci&p=4

田舎にいい仕事はほぼありません

地元での就職を考えている人は少し、考え直した方がいいと思います。

田舎には良い就職先が少ないです。この広樹さんのように、地元に帰って就職すると、ブラック企業に当たる可能性が高くなります。

出来れば、東京、大阪のような都会での就職活動をオススメします。

都会な方がはるかに労働条件が良いです。これは間違いありません。職種や求人の数も多く、良い仕事に就くためには都会に行くしかありません。地方では公務員が勝ち組とよく言われます。実際その通りで、地方では公務員ぐらいしか良い仕事が無いのは事実です。そのため、多くの地方にいる生徒がMARCHや日東駒専関関同立を目指すのです。

親の面倒など色々と思うところがあるとは思いますが、あなたの大事な人生。自分の意思で選ばなくては確実に後悔することになります。自分が老いた時のことを考えて行動しましょう。

非正規に陥りやすい職種や仕事

 労働政策研究・研修機構(JILPT)の「壮年非正規雇用労働者の仕事と生活に関する研究」(2015年)では、若年を25~34歳、壮年を35~44歳と定義して、「男性の場合、20代前半に販売職、サービス職(資格不要)、飲食サービス業に従事していると壮年期に非正規雇用労働者となることの何らかの関係があると考えられる」としている。

 同レポートで注目されるのは、若年期に正社員であっても退職時の状況が、「深夜に就業することがあった」「休日が週に1日もないことがあった」「心身の病気やけがをした(仕事が原因)」「職場でいじめや嫌がらせがあった」「1週間の労働時間が60時間を超えていた」のいずれかに該当する場合、そうでない場合と比べて、壮年期に非正規雇用になりやすくなるメカニズムがあると指摘されている。

まず、業界として、資格不要のサービス職は誰にでもできる仕事で、仕事の単価が安く、長時間労働になりやすいので、辞めましょう。

心身の病気や怪我につながり、会社を辞めざる得なくなります。また、夜勤がある仕事もキツく歳をとってから続けられる仕事ではありません。残業が多く、休みが多くない仕事はドロップアウトの可能性が高くなります。

就職活動をする際には、残業時間の長さ、年間休日数、夜勤や深夜までの残業があるかどうかは必ず確認しておくと良いでしょう。また、飲食、販売職、サービス職(資格なスキルの必要ないもの)は避けるべきです。