飽きるとはどういうことか?
飽き(心的飽和)は、ある種の「サイン」と見ることができる。 ミクロ経済学に「収穫逓減の法則」というのがある。 労働力や資本といった「入力」を増やしていくと、ある一点をすぎると、入力の増加に対して生産という「出力」が見合わなくなる。「効率」が低下してくる。相対的に「利益」が減っていく。
心的飽和も同様で、なにごとかに努力を傾注しても、やがて効率が低下していき、それに見合う結果が出なくなる。「限界点」に近づく。「飽き」は、脳がそれを知らせるサインと考えられる。 入力に対して出力の「指数」が低下してきている。
これ以上、時間を使っても効率が悪いが、続ける? 止める?それが飽きるということの正体である。さらに続けることによって(習熟)、その行動・動きが「自動化」され、脳の認知資源(コスト)が下がる。努力を必要としなくなる。コトによってはマルチタスクも可能になる。 すでに脳は「収穫逓減」が発生しつつあると認識している。
仕事は3年もすれば飽きる
大抵の仕事は3年もすればある程度スキルを獲得できます。
スキルに重きを置くのであれば飽きたと言うことはさらに高度な仕事をするか、分野を変えるかしかありません。
複数のスキルを手に入れたり、高度な仕事をして専門性を高められれば良いのですが、サラリーマンの仕事は大半が専門性が低く、誰にでもできる作業であるため、学んだり、学習しても得られる収穫が少なくなるのです。
そうなると人は飽きます。多くの時間をかけても得られるスキルもなければ、給料も上がらない。
であれば、より上流の仕事をするから別のことに挑戦するしかありません。
飽きが来ているのは変革するチャンスなのです。