自分がわからなくなったら
自分がわからなくなってしまいましたが、それは自分に嘘をついていたからだとわかりました。
やりたいことはもうわかっていたはずなのに、ビビリだから素直にならなかった。なぜかどうせ上手くいかないとか、不安定だとか思っていました。自分に素直になるのが怖かったんでしょうね。自信がなかった。
でも、人生を考えた時にとても後悔した。
今の40代以下は一生働くことになるのです。
2030年前後に年金が破綻すると言われてますからね。年金は基本的にもらえません。一生社畜やりますか?会社は20年後残っているかわかりません。終身雇用も過去のものなのです。なのに、年功序列で若者は常に搾取される。
基本的に仕事=人生になる。その時に本当にやりたいことを仕事にしなくて良いのかととても公開しました。だから、いまもがいています。
色々経験して、ようやく自分の本当にやりたいことがわかった気がします。いや、自分自身はもうずっとわかっていたんですよね。自分に嘘をついていました。
自分の人生をどのように使いたいのかわからない人は子供の頃を思い出してみましょう。三つ子の魂百までと言われるように、人間は生まれた時から本質的な部分は変わらないのです。
昔の自分は何を思って来たんだろう
昔は何を思っていたかなぁ。
石を集めることが好きだった。ビー玉を見つめることが好きだった。色んな色や形があって、全てに歴史があった。思い出があった。
いろんな個性があることが好きで、それらを分類するのがとても好きだった。多分今でも好きだ。私は病的な分類好きだ。
そのおかげか、人の良いところを見つけることが得意だ。そして、いつも頭の中で人間を分類分けしている。
絵を描くことが好きだった。いや、絵を描くことだけではなくてウェブデザインも彫刻も好きだった。多分デザインが好きなんだろうな。基本無気力だったけど、絵が上手く描けない時はすごく悔しかった。
そんな子供時代の将来の夢は消防士だった。ただ、本当は違う。本当になりたかったものは社長だった。これを言うと変な目で見られるから消防士になりたいと言っていただけなんだ。実際カッコいいし、憧れたが、貧相な自分ではならないことがその時わかっていたようにも思う。
そして今でも思う。経営者になりたいなって思った。漠然としたものではなくて、意外と今ははっきりと見える。
これしかないって思ってるし、成功するためにチャレンジしてる。上手く行くかはわからないけど、絶対に私は諦めないと思う。
なんで社長になりたいのか
私は歴史が社会が大好きだったんですよ。地歴公民倫理と言った社会科が何より好きだった。それと同時に科学や物理生物も好きと言う意味わからない人間だった。だから、すごく文理選択に迷った記憶がある。ただ、社会科が好きすぎて社会科学をどうしても学びたかったから、文系を選んだ。全く後悔はしていない。理系つっても農学、バイオ系考えてただけで、特に就活で文系より有利になるところはない。
まぁ、それはどうでもよくて、とにかく社会が大好きだった。いろんな人の思いが、歴史がこの世界を形作っているところに震えた。面白すぎるだろって。
経済が歴史を動かす。経済は人が動かす。法律が社会を作り、人が法律を作る。そして、社会が人を作る。
心理、地理、歴史、経済、法律は全て繋がっていた。それだけじゃない。科学技術も大きく関わってくる。この一見平凡な世界は複雑な因果の元に成り立っていることにロマンを感じた。あの時もし…
歴史にifはないが、自分がその時代な生きていたら、きっとこう思った。こうしただろうと言う妄想をするのが好きだった。
私が特に興味を持ったのは世界大戦時の各国の外交だ。
とにかく、どうすれば、あの時戦争を回避できたのか。もしこうだったら結果はどうなっていたのか。そんなことを考えるのが何より好きだった。
歳をとったからかもしれないが今は幕末が好きだ。なぜあんなに坂本龍馬が人気があるのかわかったような気がする。
社長は歴史好き
実は社長は歴史好きな傾向にあるそうです。戦いたくて仕方ないのでしょうね。
群雄割拠の時代に名乗りを上げたくなるのがサガなのだ。
これは止められない。自分でもよくわかる。もう、やりたいと思ったらやってしまう。ただ、自分は結構冷静な方でちゃんと綿密に計画を立てる。まず作戦を考えること自体が好きなのだ。
負け戦とわかって戦いに挑むのはバカだと思っているし、とにかく死なないことが大事だと思っている。死ぬこと以外はかすり傷だ。
そう言えば、こんな本あったな。
社長の価値観はズレてる
社長の価値観はズレてると思う。私も最近人生がどうでもよくなったので、価値観がズレた気がする。
どうせ大した人生では無いと気がついたのが大きいかもしれない。
死ぬのは怖いが、貧困は全然怖く無い。
普通の人の判断基準は「安全」か「より安全」かだ。
絶対にリスクはとらない。
社長になってしまう人は「死ぬ」か「生きる」かだ。
判断基準が全然違うのだ。
私は最近自分の人生が無価値なものに思えた。私が死んでも多分何も起こらない。親や家族は悲しむとは思うが、私が死んでも会社も社会も何事もなかったかのようにいつもと変わらず動いていくだろう。
所詮その程度の命の価値しかないのだ。
せっかく生まれた命。やりたいたいことをやらずして死ぬのもつまらない。
やばくなったら自己破産も出来るし、生活保護がある。今の日本で死ぬことはほぼ無いのだ。
だったら、怖いことなんてほとんどない。
むしろ、何もせずに生きている方が底辺に近づくのだ。とにかく、上を目指さないといけない。その結果として、そこそこの生活が出来るようになる。
社会に出るのはクッソ怖い
社会に出るのはとてつもなく怖い。仕事についていけなかったらとか、クビにされたらとか、仕事がなくて露頭に迷うのではとも思ったことがある。
それももう怖くはない。クビになればビルメンでも掃除夫にでもなれば良い。安月給でも生きていくには十分だ。コンビニは人手不足だから若けりゃ基本雇ってもらえる。基本的になんとかなるもんだ。
私より優秀な人はごまんといるが、ダメな人もごまんといる。それでも彼らは生きている。
中には自殺してしまう人もいるとは思うが、それでも年間8万人(不審死合わせて)ぐらいだ。その多くは高齢者で若者の自殺者は少ない。(近年急増しているけどね…)
老いて働かないなら生活保護を貰えば良い。最低限生きていられれば十分だ。
どのみちその頃にはAI化やRPA化進んでそもそも仕事がないだろう。
多くの人は無職だ。安心だね。みんなで渡れば怖くない理論ですよ。
一旗上げるには今しかチャンスがない。いや、そんなこともないけど、今が一番そのチャンスを掴みやすいと思っている。
偶然見つけてしまった一筋の光をとにかく掴みたい。実態があるわけではないが、ここしかない。
絶対に諦めない。幸いチャンスは常に開かれている。こんなに恵まれた環境は他にはない。無能な自分にはこれしか成功する道が無いと思っている。だから、
絶対に諦めない。