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自由主義経済である限り不平等

自由主義経済である限り不平等

今後の世界のあり方に根本的な制約を与える大問題の一つが、格差であり、それによって引き起こされる階級闘争である。

社会の根幹を揺るがすこの問題を、我々はどう考えればいいのか。人間行動のデータをもとに、組織や社会の幸せなあり方を論じた『予測不能の時代: データが明かす新たな生き方、企業、そして幸せ』の一部を抜粋、再編集してお届けする。

■平等にする努力をしなければ極端な格差は生じる
格差が経済における一大問題であることは疑いない。しかし格差の影響は、経済にとどまらない。格差にともなう民衆の不満が、民主主義のあり方を問い直すことになっている。

格差については、多くの研究が行われている。富める者が、よりよい教育を受けてより多くの富を得る構造や、高所得者に有利な税制の問題、さらに、株主資本主義による超高額所得者の出現などの要因が指摘されている。

しかし、私はまったく違う結論にいたった。私の知る限り、今から紹介する理論が、これまでのあらゆる理論の中で、最も少ない前提で格差を説明している。というのも、この理論では、

格差が生じるのには、理由はいらない

ことを明らかにするからである。

われわれは、自然に配分すれば、平等になるはずなのに、何か理由があって、格差が生じているはずだと考えてきた。したがって、その理由を明らかにし、対策すべきだと考えていた。

真実は反対だ。自然に配分すれば極端な格差になるのであって、平等にするには、何か特別なことを行う必要があるのだ。富の分配を平等にする努力をしない限り、極端な格差が生じるのである。すなわち、

平等には理由があるが、格差には特別な理由はない

のである。

ここでは、経済的な富の分配を考える。

たとえば、あるときに、すべての人の財産を没収し、全員に一定量のお金を分配したとしよう。乱暴なやり方ではあるが、この直後は、全員の所有しているお金は平等になる。

しかし、お金は使わないと所有している意味がない。そして、お金は使えば減るし、もらえば増える。人から人へ移動する。だから、いったん厳密に平等を実現しても、すぐに平等ではなくなってしまう。

あなたは疑問を持つかもしれない。確かに、人から人へのお金の移動により、厳密には平等ではなくなるだろう。しかし、全員がお金を使ったり、もらったりすることを似たように行えば、おおよそは平等のままなのではないか、と。少なくとも格差と呼ばれるような極端な差は生じないのではないか、と。

ところが、実際にはそうはならない。これをコンピューターでシミュレーションすることができる(図(a)および(b))。

 

(外部配信先では図を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください)

■完全に平等な取引からも格差は生まれる
最初に、全員が同額のマネーを持っている状況にする。そこから、人と人との間で平等に等しい確率で取引が起きることを想定する。それぞれのマネーの移動は、一律同じ額で、ランダムに平等に行う。

大事なのは、これは現実にはありえないような極端に平等な条件だということである。各人がお金を使う確率(頻度)ももらう確率(頻度)も、全員が厳密に等しいとしたのである。一様にランダムな確率で割り当てたからだ。理想的な平等条件で取引を行うと、何が起きるかを見てみるというシミュレーションだ。

ところが、ここまで厳密に平等な条件を設定しても、富める人と貧しい人との大きなマネー配分の格差が生じるのである。再度強調するが、このマネーの移動は、完全にランダムで平等に行われた。最初の所持金も平等で、一切の能力差や親の裕福さのような個人差はない完全に平等な条件でも、この格差が生じてしまうのである。ここだけを見ても、格差は極めて簡単に生じることがわかると思う。

繰り返しランダムに人から人へとお金を移動させるのは、いわばトランプをシャッフルするような処理だ。トランプが、買った直後のように数字順に、スペード、ダイヤなどのマークごとに並べられた状態になることは、意識的に揃えないと決して実現できない。すなわちいろいろな可能性がある中ではごく珍しい状態である。一方、繰り返しシャッフルした状態、すなわちトランプがよく切れた状態は、より自然なばらつきのある状態になる。

お金の配分についても、人から人へ繰り返しランダムに移動させることで、開始時の意識的に一律に揃えた状態から、より自然でありふれた配分状態にすることができる。つまり、格差のある状態は何の理由もなく、ごくありふれた結果だということである。

このように、ランダムにかき混ぜることによって、分配に格差が生じることは、物理学ではよく知られてきた現象である。このようなかき混ぜることによって生じた自然で、ありふれた分配状態は、重要な物理法則である「エントロピー増大の法則」に従った結果だ。これらの統計的な分配を扱う学問を「統計物理学」と呼び、一大分野として確立されている。

実は、経済現象も、このエントロピーが増え続けるという物理法則を逃れることはできない。拙著『予測不能の時代』でも詳しく解説しているが、極端に平等な状態からスタートしても、エントロピー増大の法則のため、つねに格差は大きくなるのである。

ただし、前記のシミュレーション結果(図(b))に見える格差は、現実世界の所得や資産の格差のレベルに比べるとまだ小さい(図⒝のシミュレーションでの格差は「指数分布」と呼ばれるものに近づくが、現実の所得格差はもっと偏りが大きい「べき分布」と呼ばれるものに近い)。

実は、社会に生じる格差の大きさ・偏りは、このエントロピー増大の法則の効果を何重にも増幅させることによって生じる。この増幅のメカニズムを次に説明する。

■不平等を拡大させるルールの存在
ここで「平等」や「不平等」を考えるときに、思い出すゲームがある。トランプゲームの「大貧民」(あるいは「大富豪」)である。

ご存じの人も多いかもしれないが、大貧民では、1回のゲームが終わると、その順位によって、「大富豪、富豪、平民、貧民、大貧民」といった階級がプレーヤーにつけられる。そして、次のゲームでは、この階級によって処遇に大きな有利不利が生じる。

具体的には、大貧民や貧民は、最初に持っているよいカードを、大富豪や富豪に渡さなければいけない。一方で、大富豪や富豪は、手持ちの悪いカードを、大貧民や貧民に渡すことができる。これにより、大富豪や富豪にとって、ゲームが圧倒的に有利になり、貧民はなかなか浮かび上がれない。格差を固定化する構造がゲームのルールに組み込まれているのである。

このゲーム「大貧民」の世界では、最初は階級を定めずに、平等なルールで1回目のゲームを行い、その結果によって、2回目のゲームにおける大富豪から大貧民の階級を決める。この場合、開始時点では当然、全員平等である。しかし、1回目の平等なゲームの結果によって、2回目のゲームでの各人の処遇(すなわち誰が大富豪や大貧民になるかの割当)が決まる。

そして、2回目以降のゲームでは、大貧民と大富豪とでは、ルールは平等ではない。大きな処遇の差(有利不利)が設定されており、とうてい平等とはいえない。

それでも、この「大貧民」では、最大の格差でも、大貧民と大富豪との差であり、これ以上は格差が広がらないよう歯止めがかかっている。しかし仮に、ゲームの負けの度合いに応じて、次回のゲームでの不利の度合いが大きくなるようにルールを拡張すると、いったん貧民側へと入り込んだら無限に落ちていく力が働くようになり、そこから抜け出すのが極めて困難なゲームになる。

そして、完全に自由な自由主義経済とは、まさにそのような仕組みなのである。

ルールから配分が決まり、その結果の配分によって、成績のよかったものが優遇される新たなルールが決まる。これを繰り返すことでルールを何度も更新することができる。新たに更新されたルールはつねにその前のルールよりも不平等になる(よい結果が続くとより優遇され、悪い結果が続くとより冷遇される)。これが、不平等が生まれる基本構造である。エントロピーの増大によって生じる格差が、何重にも増幅された結果、極端な格差が生まれるのである。

■勝者優遇のルールが格差を拡大させる
実は、ここで見られるように、取引や競争や生産活動を行って、結果のよかった人をその後の活動で優遇することは、社会のいたるところに見られる。あるいはそのような明文化されたルールや、人の明確な作為がなくても、見栄えや味などがよい商品が、自然とうわさになり、そのうわさからSNSなどで広く情報が拡散されて売れるようなこともよく起こる。

これはある意味で当然である。一生懸命に頑張って結果を出した人と、サボっていた人との間で、処遇に差をつけないならば、頑張って工夫する人がいなくなってしまうからである。また、買った人が気に入った商品の情報が、多くの人に伝わるようになることも、人々の生活を豊かにするには欠かせない。

したがって、ここでいう「配分のあり方の変化」は、「因果応報」あるいは「信賞必罰」という言葉で表すのがふさわしいものだ。結果のよかった人やモノを優遇し、そうでなければ優遇しないということである。

ここで大事なのが、図⒝に示したように、平等なルールで配分しても、相当の格差が生じるということである。これは、自然なありふれた分配の結果なのだ。そこには、何の理由もない。ということは、能力の差や努力量の差がまったくなかったとしても、よい結果に恵まれたり、悪い結果となったりすることは十分にありうるということだ。そしてこの偶然による結果の差に対しても、「因果応報」「信賞必罰」が適用されれば、次からは不平等な処遇による配分が始まる。

さらに、不平等な処遇(すなわちルール)で配分したときには、以前のように処遇されたときより大きな格差が配分に生じる。このため、前記の「因果応報」が、繰り返し連鎖すると(よい結果を得るたびに、さらに勝者に有利なルールになることが繰り返されると)、格差がどんどん大きくなって、極端な分配になってしまう。

これもコンピューターでシミュレーションを行えば、目に見える形で確認することもできる(図(c)および(d))。

 

因果応報の連鎖が繰り返されるほどに、持てる者と持たざる者の格差が桁違いに大きくなっていき、連鎖が何回か繰り返されるだけで、実際の所得の格差に近い、極端に偏った分布になる。ここでも、生じた極端な格差には何の理由もない。敢えていえば、この社会の「因果応報」の連鎖によって、エントロピーの増大という自然の営みが繰り返され、その格差を生む効果が増幅されたのである。

■連鎖の長さだけで決まる
実はこの格差の大きさは、連鎖の長さだけで決まる。途中にどんな変数が効いているかは関係ないことが数学的に示されている。だから、この世に因果応報があり、エントロピーの増大がある限り、極端な格差は避けられない。格差に特定の理由はいらないのである。

だからこそ、平等の実現には原因となる行動が必要で、意識的な行動が必要なのである。すでに、累進課税相続税のような平等に近づけるための行動はある程度行われている。 しかし、格差が増大する現実を見るとそれではまだ足りないのだ。

フランス革命のスローガン「自由・平等・友愛」の「自由」と「平等」を両立させることは、原理的にできないのだ。つねにトレードオフの関係にある。そのどこの点を目指すのかを決めるのはわれわれだ。

われわれは、この平等に向けた行動をどこまでするべきだろうか。経済学や既存の資本主義の枠組みだけでは、これに答えることは原理的にできない。われわれは、その外に新たな枠組みを構築する必要がある。

これこそが、人の幸せの追求である。その意味でも、前回の記事(「幸せな組織をつくれる人と不幸にする人の決定差」2021年5月15日配信)で解説したような「幸せの科学」こそが、今後の社会を論じるための最も基本的な基盤になると考える。それにより、どこまでの自由が、あるいは平等が、最も幸せを高めるのかという重要な問いに迫れる。このような客観的なデータによって、格差に関しイデオロギーを超えた議論が可能になると思う。