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人生の目的とは自己保存の達成である余裕があれば幸せになれる

かつてイングランドの国家哲学者トマス・ホッブズは、人類の自然状態を『万人の万人に対する闘争』だとした。つまり、我々人間は自己保存の無限の欲求を持つが故に、他者より優位に立とうとする。我々は皆、常に普遍的な闘争状態のもとに置かれているのである。

 

人間本性

ホッブズは人間が本来的に持っている性質から論考を始める。そもそも人間の認識過程は感覚に基づいている。感覚は外界の物体運動に対して反応し、視覚により得られた物体の運動は映像として人間に働きかける。これは像、またはイマジネーションと呼ばれ、記憶や思考そのものでもある。思考は目的的に規制されたものとそうでないものがある。この思考の途上で認識対象に名称を与えることが可能である。名称が与えられた物はたとえ直接確認しなくとも、名称を思い出すことで記憶を呼び戻す。物体そのものから分離して使用される名称は言語となり、人間の理性にとって最も重大なものである。

言葉は人間に学問を可能とした。学問の出発点は定義と呼ばれる適切な名称を用いて命題を構築することである。その命題から論理的思考に基づいて推論を進める。この一連の過程から得られる一連の帰結の知識が学問であり、その研究対象によって自然哲学と社会哲学に大別される。人間はこのような認識に基づいて自らの行動を決定しているものの、実際に行動を駆動しているのは状況認識ではなく人間の意志の働きがなければならない。人間の意志の働きは情念であり、恐怖、復讐、好奇心などのあらゆる情念が存在している。

自然状態

個々人が自らの意志を達成しようとする手段が権力であり、国家以前の状態である自然状態を理論的に想定した場合には大きな権力の格差は認められない。なぜなら各個人は権力の源泉となる身体、知性、性格、品位などによって多少の個性はあるものの、総合的な観点に立てば人間の能力は対等に与えられているからである。

しかし権力が平等であったとしても希求されている対象物が複数で分割できないために複数者の意志が達成できないならば彼らは敵対関係になる。人間の本性には競争、不信、自尊心の情念があり、これらは不可避的に敵対関係を創出する。したがって人間はこの敵対者に対して先制攻撃を加えることで殺害または服従させるかを選択することになる。これは人間の自己保存が最重要の価値と見なされる自然権であり、この自然権を追求することは自由でなければならない。

しかし自由に自然権を行使すれば人々は常に攻撃される危険に晒されることになり、結果的に自然状態は万人の万人に対する闘争に発展する。自然状態での闘争では戦闘が遂行されているかどうかが問題ではなく、それは危害を加える意図が示された状態と考えられる。このような状態では人間は永続的に恐怖と危険に備え続けなければならず、取引によって経済を発展させることは不可能であり、人間の生活は孤独かつ残忍なものとなる。

 

人類の究極の形は自分という存在が保たれること

誰からも犯されることのない究極の領域。

それが人の目指す姿なのです。しかし、人間には寿命があり、お金に縛られて生きていくことになる。

暴力や事故、病気も当然ある。

それらから身を守るために攻撃をする。

強く、健康で、お金持ちであれば人は自分の形を保つことができるのです。

だから、本能的な人生の目的は誰からも明かされることがない究極の姿になることが我々人類の目的なのです。

だからこそ、強くなって、お金を稼ぐのです。しかし、唯一抗えないもの。それは死です。

これに対する答えは子供を産むということ。