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必要な仕事ほど低賃金で不要な仕事ほど高級取りな理由

コロナ禍での看護師不足が深刻化する一方、給料が仕事に見合わないという声が上がっています。看護師に限らず、社会的価値がある仕事をしている人たちの賃金が低いのはなぜなのでしょうか。職場にひそむ精神的暴力や封建制・労働信仰を分析し、どうでもいい仕事が蔓延するメカニズムを解明した『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』を一部抜粋・再編集してお届けします。

■社会的に価値のある労働者は「医療研究者」
多種多様な職業の社会的価値を実際にすべて測定しようと試みた経済学者は、ほとんどいない。おそらく、大半の経済学者はそうした考えを愚か者の所業と考えているだろう。しかし、そのようなことを試みてきたその少数の経済学者たちは、有用性(ユースフルネス)と報酬のあいだには反転した関係があることを立証してきた。

2017年の論文で、アメリカの経済学者ベンジャミン・B・ロックウッド、チャールズ・G・ナタンソン、E・グレン・ワイルは、高給取りであるさまざまの職業にかかわる「外部性」(社会的コスト)と「スピルオーバー効果」(社会的便益)について既存の文献を探査している。

その目的は、それぞれの職業が経済全体に対し、どれだけの量〔の価値〕を追加しているか、あるいは差し引いているかを計測することは可能かを探ることにある。

彼らの結論は、そこにふくまれている諸価値があまりに主観的なので測定不可能である事例――とりわけクリエイティブ産業に関連している――もあれば、おおまかな計算が可能な事例もあるというものだった。

彼らの結論では、貢献度を計算できるもののうち最も社会的に価値のある労働者は医療研究者であり、その職業についている人びとは1ドルの給料につき社会に9ドル分の価値を追加している。

一方で最も価値の小さい労働者は金融部門で働いている人びとだが、彼らは平均して1ドルの報酬につき社会から1ドル以上の価値を差し引いている(そしていうまでもないが、金融部門の労働者はたいていきわめて高い報酬を得ている)。

分析結果の全容は、次のようなものである(▲はマイナス)。

•研究者 +9

•教師 +1

•エンジニア +0.2

コンサルタントとIT専門家 0

•弁護士 ▲0.2

•広告マーケティング専門家 ▲0.3

•マネジャー ▲0.8

•金融部門 ▲1.5

確かにこの結果は、このような職業の価値全体に対して多数の人びとが抱く直感的な疑問を裏づけているように見えるし、それゆえ、それが事細かに分析されているのを見るのは愉快でもある。

しかし、著者たちは最高給取りの職業だけに焦点を絞っているために、ここでの目的のために活用するのには限界がある。おそらくリストの中で、教師は少なくとも平均値において最も賃金の低い労働者であり、研究者の多数はギリギリのところで生活している。

したがってこの結果は、賃金と有用性のあいだに負の関係性が存在することと矛盾しない。とはいえ、ピンからキリまでの領域の仕事を理解するためには、より幅広いサンプルが必要である。

■シティの銀行家は稼ぐごとに社会的価値を破壊
そのように幅広いサンプルを扱った研究にわたしの知るかぎり最も近いのは、イギリスのニューエコノミクス財団のおこなった調査である。その調査では、「社会的投資収益率分析」と呼ばれる方法を用いて、3つの高収入の職業と3つの低収入の職業、合計6つの代表的な職業が検証されている。その結果を要約すれば、次のようになる。

•シティの銀行家
年収約500万ポンド、1ポンドを稼ぐごとに推定7ポンドの社会的価値を破壊。

•広告担当役員
年収約50万ポンド、給与1ポンドを受け取るごとに推定11.50ポンドの社会的価値を破壊。

•税理士
年収約12万5000ポンド、給与1ポンドを受け取るごとに推定11.20ポンドの社会的価値を破壊。

•病院の清掃員
年収約1万3000ポンド(時給6.26ポンド)、給与1ポンドを受け取るごとに推定10ポンドの社会的価値を産出。

•リサイクル業に従事する労働者
年収約1万2500ポンド(時給6.10ポンド)、給与1ポンドを受け取るごとに12ポンドの社会的価値を産出。

•保育士
年収約1万1500ポンド、給与1ポンドを受け取るごとに推定7ポンドの社会的価値を産出。

調査者たちは、こうした計算の常として、いくぶんかは主観的であること、この研究が収入規模上でトップとボトムにのみ集中しているということを認めている。その結果、報酬の面ではおおよそ中位で、ほとんどの場合、少なくともその社会的便益がポジティブでもネガティブでもなくゼロのあたりをうろついている大多数の仕事を除外してしまっている。

それでもなお、ここでは他者のためになる労働であればあるほど、受け取る報酬がより少なくなるという一般的原則が、強力に裏づけられている。

この原則にはいくつかの例外が存在する。医者の場合はそれを最もよく示している。医者の給与額は、とりわけアメリカでは、最上位を占める傾向にある。ところが、彼らは議論の余地なく有用な役割をはたしているように見える。しかしながら、医者ですらそのような例外には該当しない、と主張する医療従事者たちもいる。

例えば薬剤師は、ほとんどの医者が人類の健康や幸福にはごくわずかの貢献しかしておらず、いんちき薬(プラシーボ)の自動販売機と化しているという確信を持っていた。真偽のほどはなんともいえない。率直にいって、わたしにはわからないのである。

■寿命が延びたのは公衆衛生の改善に起因
しかし、少なくとも1900年以降の人間の寿命延伸の圧倒的部分が、医療の発達ではなく、実際には衛生学や栄養学、そして公衆衛生が改善されたことに起因しているということは、しばしば引き合いに出される事実だ。

このことから、病院では(きわめて給与の低い)看護師や清掃員こそが、(きわめて高額の給与を受け取っている)医者たちよりも、実際には健康状態の改善により大きな貢献をなしているといえるかもしれない。

別の例外もわずかばかり存在している。例えば、水道工事人〔配管工〕や電気技師の多くはその有用さにもかかわらず、多くの報酬を受け取っている。それと、かなり無意味であるような低報酬の仕事もある。しかし、おおよその場合規則は該当しているように思われる。

とはいえ、社会的便益(ソーシャル・ベネフィット)とそれへの報酬とが反比例している理由は、まったく別次元の問題である。わかりやすい理屈づけもあるが、どれも的外れであるように見える。

例えば、教育水準である。教育水準が給与水準を左右するものであるとして、もしこれが単に訓練と教育の問題であるならば、アメリカの高等教育システムにおいて、優秀なポスドク(博士号を取得後に任期制の職についている研究者)の多数が、貧困ラインを優に切った状態のまま非常勤講師をして――食料配給券にさえ頼りながら――食いつないでいるという状況は到底ありえないだろう。

一方、需要と供給だけでみるならば、現在アメリカでは、訓練を受けた看護師の不足が深刻なのに対し、ロースクール卒業者は供給過剰の状態にある。にもかかわらず、なぜアメリカの看護師が企業の顧問弁護士よりはるかに少ない給与しか受け取っていないのか、理解できないだろう。

理由はともあれ――わたし自身はといえば、それには階級権力と階級的忠誠が大いに関係していると考えている――、おそらくこの状況に関して最も悩ましいのは、きわめて多数の人びとが、この反比例した関係を認識しているばかりか、それが正しいと感じているように見える事実である。

古代のストア派がよくいったように、徳はそれ自らが報いである、というわけだ(いいことをしたらそれ自体が報酬であり、それ以上の対価は不要である)。

■教師が多くの報酬を得てはいけない?
このような主張は、長らく教師に対してなされてきた。

小学校や中学校の教師の実入りがよかったりしてはならない、法律家や会社の重役と肩を並べるようなことがあってはならない。こうしたことは頻繁にいわれている。もっぱらカネ目当ての人間に子どもを教えてもらいたい者がどこにいるだろうかというわけだ。

もしそのような理屈に一貫性があるならば、ある程度、理解できないわけではない。だが、一貫性は存在しない(例えば、同じ主張が医者にむけられるのを聞いたことがない)。

社会に便益(ベネフィット)をもたらす人間は多くの報酬を受けてはならぬ、という考えは、倒錯した平等主義とすらいえるかもしれない。

デヴィッド・グレーバー:ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授

 

プロ野球選手は遊んでるだけ?

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新しいものを作り出せば必ず1番になれます。No. 1を目指すかonly oneを目指さなければならない。みんなと同じ行動をしたらいけないのです。

stay hungry stay foolish

スティーブ・ジョブズがなぜこの言葉を残したのか考えてください。

これが成功の道標なのです。